はまがれ 日記【なるほど!】

なんか難しく考えすぎている傾向があるんです。

はい。

でも、なんか少し解決したかな?って、思うデータがあったんです。

勝手な理解で、日本人は集団主義的な人種だと理解していたのですが実は違った側面があったようです。

以下【コピペ】

「個人よりも集団の利益を重んじる心」では、ないそうです。(実際に日本人とアメリカ人で実験を行うと、日本人が集団主義的な心を持つという結論は得られません。)なんて文章を発見w
【実際には日本人は相互監視と相互制裁のしくみの元では集団主義的な行動を取るが、そのようなしくみがなくなると個人主義的な行動を取る(いわゆる「旅の恥はかき捨て」)傾向があるのですが、「帰属の基本的エラー」(人間は他人の行動を見ると、周囲のしがらみや圧力ではなく、その人がそうしたいからしているのだと思ってしまう傾向)のため、日本人は集団主義的な心をみんな持っていると思ってしまうのだそうです。】ふむふむ


この様な集団主義的な文化を、「内集団ひいき」のナッシュ均衡と呼ぶそうです。

【「内集団ひいき」というのは「自分と同じ集団の人間を、他の集団の人間より優遇する行動」のことであり、ナッシュ均衡ですから誰にとってもそれ以外の行動を取ると、より不利になってしまいます。具体的には、誰かが他の集団の人間も別け隔てなく接すると、同じ集団の仲間からは冷たい人間だと思われ、冷遇されたり村八分にされたりしてしまうでしょう。だから、このような「内集団ひいき」が好ましくないと思っていても、自分も「内集団ひいき」的に行動せざるを得なくなるでしょう。そしてこのような社会では、やがて人々は「内集団ひいき」的行動を導くような考え方や好みを身につけるようになり、さらに「内集団ひいき」的行動が有利となることで、「内集団ひいき」的な行動や文化が維持されるようになるでしょう。

ただこのような集団主義では、個人は集団と心理的に一体化しているのではなく、集団の中で相互依存関係を結ばなければ生活できないから集団主義な行動を取っています。】ふむふむ

【さて、このような「内集団ひいき」的な社会の中にいる人にとって、市場における自由競争はどのように映るでしょうか?自由競争の環境では、「内集団ひいき」的な行動を取っていると、外集団の人間を内集団と同じように扱って得られる利益を失うこと(機会費用)になり、「内集団ひいき」のコストが大きくなります。従って、自由競争は「内集団ひいき」な集団に依存している人にとっては、自らの生活基盤を脅かすことになります。そのような自由競争をもたらす市場に対する信頼は低くなるでしょう。そして自由競争に対する規制は好ましく思うでしょう。】なるほど
【一方、政府によるセーフティネット所得再分配)についてはどうでしょうか?所得再分配では税金を徴収して得たお金を低所得者層に厚く配分しますが、この所得再分配は特定の集団内部で行われるわけではなく、さまざまな集団やどの集団にも属すことができない人も含んだ、国家的な規模で行われます。従って、所得再分配は「他の集団の人間も別け隔てなく接する」という性質を持ちます。「内集団ひいき」な集団に依存し、そのような行動や文化を身につけている人にとって、このような性質は好ましくないでしょう。だから所得再分配を行う政府に対する信頼も低くなるでしょう。】まさしく!w

【実際、日本では政府による財政支出は「バラマキ」という言葉で激しい批判の対象になります。特定の業界や地方が潤う公共事業だけではなく、麻生政権の定額給付金や、鳩山政権の子ども手当など、国民に幅広く支給される財政支出ですら、激しく批判されました。この現象は一見「小さな政府」を重視する保守的な(あるいは「新自由主義」的な)動きのように思えますが、このように考えると「内集団ひいき」的な考え方に基づく動き(端的に言えば「よそ者に俺の税金をばらまくな!」)とみなせます。

また、「事業仕分け」のような「ムダを省く」政策に対する国民の支持が高いのも、「内集団ひいき」的な考え方の持ち主にとっては、「よそ者に俺の税金を回さない」政策と考えられているからでしょう。】だね〜

アメリカのような「内集団ひいき」的な文化がなく、集団の内外で別け隔てなく接する社会においては、ここまで述べたような問題はないでしょう。だから市場による自由競争と政府による所得再分配の双方を嫌うことはなく、少なくともどちらかは好むでしょう。一般的に保守派は前者、リベラル派は後者を好み、その違いが政治的な対立となっています。この図式をそのまま日本に持ってきて、市場による自由競争と政府による所得再分配は対立するものだと考えてしまうと、日本では両方とも嫌われているという傾向は理解出来ないでしょう。

しかし、市場による自由競争も政府による所得再分配も、集団の内外で別け隔てなく接するという点では共通しています。だから、市場競争と所得再分配は、資本主義社会の「車の両輪」として機能するのでしょう。「内集団ひいき」的な社会がその点を嫌うと考えれば、日本の状況も理解できるのではないでしょうか?】うんうん

これで何となく納得やっぱ自分って日本人っぽくない感覚だったのです。

こーいう人達が一般的なのは解かっていましたが、自分がマイノリティだとは気が付かなかった(つきたくなかった?w

小さい学校や会社単位で見れば解かりやすいもっと言えばクラスや店舗や部署単位

内集団ひいき。

この感覚がないんですよね・・・。

ないと言えば誤解されますが、言い換えれば少ないんです。

でも、周りの人は昔っから多かった

自分達の利益になる情報やクラス限定の遊びは、他のクラスや他の学校の子とも共有したい!って言うと「ええ?」って反応多かった気がした。

中学くらいの時は、不良グループともスポーツ大好き爽やか系グループとも勉強大好き将来エリートグループとも仲良くしたく思っていても、それが許されない雰囲気がバンバンでちゃってました。

仕事でも、もっと色々な同業他社や自社他店舗なんかとも有意義な情報交換をやっていきたいなんて思っていても「自分達だけ!」な感覚の持ち主が聞くだけ聞いて自分達のことは公表しないか嘘で固めてしまうので終了ってパターン
利益の配分が他にいくのをメチャ嫌ってしまう傾向があるんですね。

自分は、最終的に戻ってくればいいかなって考えですが・・・こりゃ戻ってくることないかもね?www


でもまーそんな小さいこと言ってないでオープンでやろーぜってのが本音っすね。


じゃ!またw